【石油基地編】自衛隊を脱出した先は、さらなる絶望…石油基地で出会った「パワハラ所長」と「冷酷な教育係」、そして唯一の光

青い海と空を背景に、白い円柱形の石油タンクやプラントが並ぶ広大なオイルターミナルの全景
目次

プロローグ:北陸の空と、冷たい「観察」

この記事を読めば、今の職場が辛くて吐き気がする人が『逃げてもいいんだ』と確信できる理由がわかります。

前職で自衛隊という特殊な世界を経験し、次の職場が、北陸地方にある石油基地。

九州での面接を経て内定を勝ち取った時は、「これでやっと普通の社会に戻れる」という期待に胸を膨らませていたのを覚えている。

しかし、その淡い期待は、入社1週間前の挨拶回りで早くも違和感に変わった。

菓子折りを手に職場を訪れた際、所長から紹介された指導係(教育係)の先輩。今でもあの**「冷たい目」**が忘れられない。

暗い廊下の先から差し込む光を背に、表情の見えない人物が黒いシルエットとなって立っている様子

自分で言うのも変だが、人当たりは悪くない方だ。自衛隊仕込みの、相手の目を見てハキハキとした挨拶。

通常なら「元気な新人が来たな」となるところだが、彼は違った。

「ふーーーん……」

と声には出さず、上から下まで値踏みするように観察され、

低い声で

「よろしくお願いします…」

その得体のしれない空気感に、背筋がゾワッとした。

これが、「第二の地獄」の幕開けだった。

「あるある」では済まされない:OJTという名の放置プレイ

いざ入社し、3ヶ月のOJT(教育期間)が始まった。

そこで待っていたのは、昭和の悪い部分を凝縮したような「背中を見て覚えろ」という名の放置プレイだった。

教育係の先輩は、教えることなど端から興味がないようだった。

そそくさと自分の仕事だけを進め、俺が質問に行けば「今、忙しいから」シャットアウト。

ならばと自分でメモを取り、家に帰って必死に復習して翌日に臨む。

しかし、いざ現場で判断ミスをすれば、**「なんで分からないんだ!」**という怒声が飛んでくる。

眼鏡をかけたスーツ姿の男性が、拳を握りしめ、顔を真っ赤にして激しい形相で怒鳴り散らしている様子

教えるときも素っ気ない、というか雑、上司にはへこへこするが、目下の後輩、下請け、協力会社には冷酷、失礼といった面が顕著な性格だ。

これもどこにでもいるあるあるだ。

「聞いても教えてくれない」と「聞かないお前が悪い」の挟み撃ち。

どこにでもある「新人いびり」の典型パターンかもしれない。だが、当時の俺には逃げ場がなかった。

本社に告げ口も考えた。でも早い段階で情けないやつのイメージを持たれたくない

変なプライドが邪魔だった。


絶望の宣告:「お前が初めてだぞ」

入社3~4か月で「危険物乙4」を取得。

これは石油基地勤務では必須資格。

これがあることによって、法的には朝一の当番勤務、週末の当番勤務、オイルタンカー船の受け入れ作業を担当者として任せてもらえる、という大前提の資格になる。

業務内容が増え、どんどん経験の場が提供されるともいえる(笑)

それから、事務担当を任された時のことだ。

ろくな教育も引き継ぎもフォローもないまま放り出され、案の定、俺は業務を回しきれなかった。

ハナッから「無理です。連絡体系も、PC処理も、データ関連もまだわかっていません!」と伝えていたにも関わらず、

返ってきたのは所長からの冷酷な一言だった。

「お前は、分かったふりして全く分かってなかったんだな」

担当を外され、代わりに入ったのは、例の「冷たい目」をした教育係の先輩だった。

奴は、事務所にきて、周りに誰もいないことを確認すると、作業をしていた俺に向かって、突然怒鳴り散らした。

お前のせいで俺が事務担当になったやないか!
お前が初めてだぞ!
全国の勤務地でも1か月で担当外されるなんてな!

あなたは今まで、何もフォローしてくれなかっただろう?

暗いオフィスや休憩室のような場所で、窓の外を背に一人静かに椅子に座っている男性のシルエット

先輩の怒りの矛先が理解できなかった。

「お前が教育係だろう?俺は何度も聞いたよ?」

「雑に扱い、わからないまま放置したのは誰だ?

言い返したい言葉は山ほどあったが、ただ去っていく背中を眺めることしかできなかった。

昔から俺は、こういう奴に当たる星の元にいるらしい。しかもすぐ隣に…

何度も何度も出会うと、笑えてくる(笑)
今回の脱サラするまで大体似たようなもんばい。

皆さんの周りにも「教えない癖に怒る人」、いませんか?

救世主と、小姑のような「トイレ掃除」の洗礼

四面楚歌の状態だった俺に、一筋の光が差した。

周りの状況を察してか、一人の先輩がそれとなく気にかけてくれるようになったのだ。

その人は、いわゆる「天才肌のツンデレ先輩」

公式な教育係ではなかったが、彼が教えてくれる仕事の「塩梅」は、驚くほど腑に落ちた。

「答えを教える」のではなく、俺が困って声をかけるまでじっと見守り、いざという時に「考え方のヒント」をくれる

その絶妙な距離感のおかげで、一度はクビになった事務業務も、数ヶ月後には日常業務から月末の締め作業まで、一人で回せるほどに成長できた。

しかし、時間や月日が経つほど、文句が増える人物がいた。

そう **「パワハラ所長」**だ。


蛇口を光らせても、心は届かない

石油基地の朝は、当番による現場チェックと清掃から始まる。

自衛隊出身の私にとって、掃除は「お家芸」だ。特にトイレ掃除。小便器をホースで流し、雑巾で拭き上げ、蛇口が光るまで拭き上げた。

清潔に掃除され、ピカピカに磨き上げられた白い陶器の洗面台とトイレの便器

だが、所長は”俺が朝当番の時限定”で

汚いな。ここ、汚れているぞ!〇▲□%~~~

学校のトイレを一回り小さくした程度の空間を、

俺は誰よりも綺麗に掃除していた自負がある。

にもかかわらず、返ってくるのは感謝ではなく、重箱の隅をつつくような嫌味だけ。

説教ばかりで…労いの一言もないのか…..

しかも、本業以外の雑用だ。

そんなに強く、何十回も言われる筋合いはない。

人間性のなさに呆れ、怒りが込み上げたが、同時に自分に良い教訓ができた。

俺は、あんな人間には絶対にならない。

最後には相手を尊重し、感謝できる人間になる!

反面教師というには、あまりに大外れ上司、かつ面倒な手本やったけども…


「いいから聞きなさい!」という思考停止

ある時、重要な業務の最中に所長に話しかけられた。

「すみません、今これを先に終わらせていいですか?」

丁重に断ると、彼の顔色が変わった。

「いいから聞きなさい!〇✖▲■~~~%!!」

怒鳴り散らして聞かされた中身は、今すぐ言う必要もない、実のない話だった。

目を見開き、口を大きく開けて激しく叫んでいる男性の顔のアップ(モノクロ)

「……なんでこんな人が”所長”を務められる会社なんだ?……」

社員全体は優秀な人間が多い。その中で俺は落ちこぼれ、を考慮すると給与待遇は良い。

でも、根底にあるのは「丁稚奉公」を強いるような古臭い理不尽さ。

俺の心に、少しずつ、でも確実に「次」へのカウントダウンが刻まれ始めた。

限界のサイン:身体が「NO」を突きつけた日

理不尽な環境は、徐々にその牙を剥き始めた。

所長の言動はエスカレートし、言葉の暴力だけでは収まらなくなった。

  • ヘルメットの上から頭を叩かれる。
  • 太ももを強く押される。
  • 業務中に部屋に呼び出され「1時間以上説教」
  • 説教時間分の業務をこなすため「残業しても残業代なし」

今の時代なら一発でアウト。紛れもない「パワハラ」だった。

それでも俺が耐えられたのは、

頼りになる上司や、あの「ツンデレ先輩」という精神的な支えがあったからだ。

その唯一の支えだった人たちが、相次いで転勤

あとに残されたのは、パワハラ所長と、例の「冷酷な先輩」、そして他人事な同僚たち。

……もう、無理かもしれん

ついに、その瞬間がやってきた。


トイレで深呼吸する、情けない自分

ある日のこと。 所長から放たれた、最後の一押しとなる言葉。

中身はあえて書かない。だが、その言葉を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。

ドラマのような光景が、現実に起きた。

  • 世界がぐらぐらと歪み、視界が定まらない。
  • めまいに襲われ、まともに立っていられなくなった。

俺はふらつく足でトイレに駆け込み、猛烈な吐き気に襲われ、吐いた。

「……はぁ……はぁ……」

冷たいトイレの個室。 そこで一人、俺は必死に深呼吸を繰り返した。

自衛隊という厳しい世界を生き抜いてきたはずの自分が、トイレの個室で、酸素を必死に求めて深呼吸している。

「トイレで深呼吸なんて、クソだな…..」

モノトーン調の薄暗い空間にポツンと置かれた、冷たい印象を与える洋式トイレと小便器

自分の事を惨めだと思いながらも、本能が叫んでいるように感じた。

**「今すぐ逃げろ。これ以上ここにいたら、お前は本当に壊れるぞ」**

あれは、自分の身体が突きつけた、最大の「NO」信号だったんだと思う。

結末:収穫は「貯金」と「愛する妻」、そして確信

「次が決まるまでは、ゲロを吐いてでも続けてやる」

そう決意し、俺は転職活動を開始した。

この泥沼のような日々を支えてくれたのは、休日を共に過ごし、ささやかな安らぎをくれた「今の妻」(当時は彼女)の存在だった。

もし彼女がいなければ、俺は転職先が決まる前に全てを投げ出し、地元へ逃げ帰っていた。

皮肉なことに、きっかけをくれたのは例の「苦手な先輩」の誘いで参加した婚活パーティーだった。

人生、どこに幸運が転がっているか分からんばい…


「逃げる」ことは「勝つ」こと

初めて頼った転職エージェント(doda)は

俺の「自衛隊」と「石油基地」という異色の経歴を、力強い「職務経歴書」へと昇華させてくれた。

私が泥沼から抜け出すきっかけをくれた「doda(デューダ)」はこちら

※現在は審査中のため、承認され次第ここに専用ボタンを設置します! [ >>

doda(デューダ)公式サイトへ

💡エージェントで転職活動が劇的改善

✅これまでは履歴書のペラ1枚しかなかった。

✅「どうせ自分の職務経歴書は書く内容なんてないと思い込んでいた

✅しかし資格や経験値も増えていた為、添削してもらうと見栄えの良いものになっていた。

✅結果、大手企業の製造職として、無事に内定を勝ち取ることができた

そのあと俺は、逃げるようにその会社を辞めた。

「情けない」と言う人もいるだろう。

だが、壊れてしまえば、復帰までの生活費も、未来も、誰も保証してはくれない。

壊れる前に逃げるのは、敗北じゃなか。自分を守るための、勇気ある転進ばい!

夕日の黄金色の光に包まれながら、男女が笑顔でハイタッチを交わしているシルエット

石油基地での日々は、確かに地獄だった。

しかし、そこで得た「貯金」「今の妻」、そして「人には誠実に対応しよう」という強い倫理観は、今の俺の大きな財産になっている。

今の職場が辛いあなたへ。

逃げるのは負けじゃなかです。

私が辞めたのは本当に正解。大正解。

転職先が決まって、辞められたのは運が良かっただけ。

決まらなくても辞める期限は設けていました。「ここはヤバい」と思った時に、動かねば手遅れになります。

心が折れたら、致命的に傷を負ったら、転職活動もくそもない。

「心身が健全」だからこそ動けるんですから。

辞めた後に思うのは、痛めつけた人とはそれっきり。ただの小さい箱で悩んでいたに過ぎないんだなとつくづく実感します。

人生の大切な時間。どうしようもない奴に奪われんごとしましょう。

それでは!しょな!!


次は、この石油基地の地獄を脱出し、ようやく辿り着いた『超大手の製造職』での日々を書いていきます。そこは、これまでの地獄が嘘のような別世界でした>>>

「地獄を抜けて、どうやってサイドFIREを掴んだのか? 私の詳しい経歴はこちら >>

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この記事を書いた人

38歳でサイドFIREを達成した、元・社畜の主夫ブロガーです。

会社員時代の「監獄生活」から抜け出すために試行錯誤し、現在は投資とブログを軸にした自由なライフスタイルを確立。家事をこなしながら、資産形成のコツやFIRE後のリアルな生活を包み隠さずお届けします。
「自分らしい生き方」を探しているすべての人へ。私の経験が、あなたの新しい一歩のヒントになれば嬉しいです。

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