【自衛隊編】Fラン大卒、体力ビリの僕が、地獄の自衛隊教育隊で『殺意』を『精勤賞』に変えるまで

逆光に照らされる自衛隊の護衛艦のシルエットと海の風景

全4編の地獄めぐり

【転職実録】シリーズ。第1編目です。

今は穏やかに主夫をしていますが、22歳の頃の私は、本気で「殺意」を抱くほどの地獄の中にいました。

舞台は自衛隊の教育隊。

ちん毛をバラまかれ、背後から頭を叩かれる……。それが22歳の私が迎えた、最初の日常でした。

なぜ、体力ビリの私がそこまで耐え抜き、最後には『精勤賞』を獲るまで這い上がれたのか?

「今の職場が地獄だ」「同期と馴染めない」と悩むあなたへ。
私の泥臭い『黒歴史』が、あなたの明日を変える小さなキッカケになれば幸いです。

目次

「いまいちな内定先」より「3年の自衛隊」を選んだ戦略的本音

はちぽは大学卒業して海上自衛隊の「任期制自衛官(期間限定の契約社員)」で入隊した。

理由は、正直に、国の制度を利用しようとしたことにある。

  • ろくでもない生活習慣を強制的に叩き直せる
  • 衣食住がタダでお金も貯められる
  • 「3年間」というゴールが明確
  • 任期満了金がもらえる
  • 3年後に、今内定中の会社よりマシな会社へ再就職する
就職が決まり、スタートラインでクラウチングスタートを切る男性と光の軌跡
どうにかする!でスタートにたった

大学の就活で内定はもらえていたが、正直いまいちな会社だったことが理由だ。

好条件企業に入社できるほど学力や能力を育てていないわけだから当然の結果だ。

内定先は、入社した後の人生が、ある程度予想できる会社だった。

そこへ進路を!とは全く思えなかった。

再就職は任期満了の3年後、少なくとも今の内定先よりましになると判断。

なによりも仕事内容は人の役にもたつ、災害での貢献などニュースで見ていたから。

やりがいもありそう」「やってみたい」の根本的な欲求もあった。

  • 任期満了(3年)で転職
  • 任期継続
  • 正社員昇進試験を受けるか

入隊後、道を選べることも今の自分にピッタリと思った。

【絶望】同期は「落ちこぼれ軍団」。体力ビリの私に飛んできた怒号と理不尽

最初の4か月は教育期間、警察や海上保安庁と同じく「訓練学校」に入る。

4月。とある地方の教育隊。

これが俺の地獄の期間だった。

冗談抜きで人を〇めたいと思ったのはここが初めてだった。

暗闇の中で頭を抱えて悩み、葛藤する男性のモノクロ風写真
逃げ場のない、灰色の毎日だった。

同期は8割がた高卒の部活上がり。

同じ「任期制自衛官」になったのは、厳しい言い方をすれば、出世コースである「一般曹候補生」の試験に落ちた、いわゆる落ちこぼればかり。

個人的な偏見だが、人格は学力や知性に比例する傾向があるのは否めない。

彼らは多くの物事、言動を単純にしかとらえきれず、逆上しやすい、多角的な視点を持てない「単細胞」な印象。だった。

更に残念なのは、高校まで「間違った上下関係」の延長線上で、仲良し軍団のまま入隊してきた連中。

彼らにとって教育隊の卒業なんて、部活上がりの体力貯金さえあれば、大した努力もすることなく4か月で終わる。ただの学校(部活)の延長戦にすぎない

肉体は強い、正直18歳まで部活で培ったやつらにはかなわない

一方、俺は大学卒業まで、まともに身体を鍛えた経験がない。息が切れるほど自分を追い込むことが「日常」ではなかった。

最初の体力測定ほぼビリ

「手押し車」では自分の体重すら支えられず、ゴールの半分行くまでに腕の力がなかった。

当然、訓練では足を引っ張ってばかり。


「連帯責任」という名の地獄。標的になるまで

自衛隊で最も厄介なのは「連帯責任」

「自分1人だけ飯にありつけない」とか「特別メニューで居残り」の方が全然ありがたい。

だがそうはならないのが「連帯責任」

罰則の腕立て100回なども、すべて周りがとばっちりを食らうのだ

だから俺が標的にされるまで、時間はかからなかった。

「足引っ張る俺のせい」だから仕方ない…

そう自分に言い聞かせるしかなかった。

そして噂の5月GW明け。

学校と同じで、1か月も経てばグループが分かれ、差別化が始まる。

そして「毎年誰かいじめの対象」になる。

多くの手から指を差され、自分自身を指差して驚く男性のシルエット

事前に、教官も全員の前で伝えており

「お前らはそんな風になるなよ」とけん制してくれていた。

が、現実はそうはいかない。

「連帯責任」これだ。

おれさえいなくなれば、少なくとも、他の班よりはマシになる

残念ながら今でもそう思う。

幸い、4か月というゴール(卒業)を見据えて歯を食いしばる覚悟はできていた。

だが、日を追うごとに悪ふざけが過ぎる。

仲の良い連中は更に仲が良くなり、俺という標的で楽しんでいる面が見えてきた。

机に座っているだけで、後ろから突然、頭を「パーン」とはたかれる。一瞬頭が真っ白になるくらい強い衝撃。

叩いた奴は、ただ笑みを浮かべてその場を去っていく。

本当にいじめの対象になっていた。

俺のベッドの上にちん毛を抜かれてばらまかれた日もあった。

ある日、間違えて同部屋の奴の道具を自分のロッカーに入れてしまったことがあった。

即座に謝罪したにも関わらず、

「黙れ」

直後マウントとられて殴られた日もある。

それを制止してくれて奴が、殴ったやつと一緒に見下す目で

「こんな奴相手にすることねえ、教官に俺らも怒られる」と言われた。

まともに謝罪したのに…なんでなのか、今も答えはでない。


自衛隊には、ベッドメイキングが不備だと教官が部屋をめちゃくちゃにする「台風」という仕打ちがある。

俺はベッドメイキングやアイロンがけには自信があった。

自衛隊の点検で不合格となり、教官によって荒らされた真っ白なベッドのシーツ

皮肉にも、その点だけは同部屋連中に認められ、

「これ(ベッドメイキング)しとけよ」と押し付けられる頻度が増えた。

仕方ない。「連帯責任」の種を蒔いているのは俺なんだから…

無理やり自分をごまかした。

そんなこんなで、暴言も増えてきた

「おい!」だの「頭をはたく」だの、

そんな日々が積み重なると「殺意」に変わってきていた。

俺をメインでいじめていた奴は、寝る時も隣のベッドだ。

怖いという感情より、怒り憎しみが積もり、

  • 階段の上り下り中に突き落としてやろうか
  • 椅子を頭に叩きつけてやろうか
  • 3階の窓から…。

何度も思った。

残念だが、今でもそう思う自分がいる。

あいつは生きていたらダメな人種なんだと嫌でも思ってしまう。


班長の日記に書かれた衝撃の言葉と、救いの「部屋替え」

「班長」と呼ばれる教官は、班員十数名と毎日、交換日記をしている。

ある日、同室の奴が書いた日記が見開き状態で放置されていて、目に入った。

そこには俺と他2名出来の悪い組の文句。

それに回答する班長の返答は

「あいつらなんか気にするな。努力なんて大してしてこなかった連中だ。お前らは違うから相手するな。」

・・・・・

この班長「自分は昔やんちゃで教官にも逆らっていた」とドヤ顔で語るタイプ。
現実は上司に媚を売り、口先だけで部下を使い捨てる、どこにでもいるタイプだった。

正直、いじめてたやつらを真正面からぶん殴りたかった。だが到底適う相手ではなかった。

人数も身体能力も、すべてにおいて分が悪かった。

教官にも通報したかったが、

年下相手に情けないというプライドと、それ以上に「バレたら悪化する」

そうなった時、自分自身が何をしでかすのかその恐怖心が働いていた。


とある水泳訓練の日、俺の肩にすごくびっくりする程大きなアザができていた

俺の体は腫れやすいのだ。

これは珍しく、お互い、肩パンしあおうぜ!という馬鹿どもの発案の元、参加した俺が悪い。

俺もパンチしたが弱すぎて意味はなく…相手のパンチを肩で受けた時の痣だ。

あまり痛みはなかったが、身体が慣れない刺激でできた痣。1週間くらい痣は残った。

肩にパンチされたことによって肩に青紫色のあざができた男性の背面のイメージ画像

それを見たやつらは、突然びくついてきた(笑)

「俺にも痣ができるくらい殴ってくれ」だの

「俺らがやったとバレると辞めさせられるかも」だとさ。

その前に謝罪は?保身だけのクズに、若い内からなるなよと心底思ったばい…

入隊から3か月経過した7月頃、

「部屋替え」が起きた。通常はない出来事らしい。

おそらく、プールですごく目立つ痣だったから、水泳教官から報告があったか、見かねた同期の誰かが、班の教官に報告したのだと思う。

助かった・・・本当に

「あと1か月半で教育期間終わる」

と頭で理解していても、

卑怯といわれようが、後ろから椅子叩きつけていたかもしれない。

いらいらで頭の細かい神経がプチプチ切れる……そんな日常だったから

教育期間は土日は基本休みだ。

朝のルーティンはあっても、それ以外は休みで外出で遊びに行く事もできる。宿泊は不可。

【覚醒】「奴らへの殺意の」代わりに「勉強し、鍛え、走り込んだ」。孤独な夜の反撃

俺は結局最後まで、仲間というものが出来ず孤立していた

一緒に外出できる人もいなかったし、体力も全然なかった。

とりあえず馬鹿どもに見下されたくなかった。

黄金色の夕日に向かって、海岸沿いの道を一人で走り込み特訓をする男性の背中

入隊後から休みの日はひたすら走った、鍛えた、

走り過ぎて、

謎の神経痛で足首が痛すぎて歩けなくなったのが5月GW(連休)中で本当に良かった

それを乗り越えたから「GW明けから部屋替えまでの不条理」にも勝てた気もする。

イライラを運動に変えて、入隊3か月経つ頃には、体力が全体の中くらいになっていた。

皆がテレビを見ている間に、座学の勉強もしたから、ある程度点数もとれた。

寝る前ベッドの上で腹筋やベッドの横で腕立て100回を日常化した。

”意地”以外の何物でもないと思う。今だと絶対無理だ(笑)

結果的に俺の伸び率は「18年の部活の体力貯金」でやり過ごすだけの奴より、

あとの努力はせず、淡々とこなすだけの連中より、誰よりも伸びたと思う。

狙ってたわけでは全くない精勤賞も貰えた

体力ビリだった俺に、精勤賞なんてもんは無縁と思ってたから、当時存在さえ知らんかった…

これは単なる皆勤賞ではない。

「学力・体力・勤務態度」のすべてにおいて、

教官から「こいつは変わった。見どころがある」と認められた者だけが手にできる、自衛隊公認の『成長(努力)の証明書』だ

落ちこぼれが、部活上がりの体力エリートをぶち抜いて勝ち取った、血と汗の勲章だ。

よっしゃあー!バチくそ嬉しかぁ~~~!!

それを見た奴は「俺も勉強しとけばよかった」と羨ましそうに見ていたが、

君は今から入隊したとしても、勉強しないよ。きっと…つくづくそう思った。

7月の部屋替え頃には、俺の体力もある程度ついて、体力的な訓練もついていけるようになっていた。

そして、居心地がよかった。以前の「同部屋連中」と全然違う。

最後の1か月、本当に助かった。

今でも、イライラパワーがあったからこそ、教育期間に折れずに、努力が出来たのだと思う。

努力というか、がむしゃらに発散しないと爆発していた、本当ーー

【結末】『精勤賞』を獲った僕と、羨む奴ら。地獄を抜けた先に見えた景色

逆光に照らされる自衛隊の護衛艦のシルエットと海の風景
はちぽの配属の護衛艦もこんな感じだった🚢

教育期間を終え、護衛艦に配属された。

そこには「まとも」な自衛官ばかり。

俺がいた練習員の教育隊は(入った時期・部屋割メンバー)最悪だったんだなと痛感した。

沖縄近郊の外洋に出れば、波がひどく毎日吐く環境。変な先輩も上司もいる。

それでも教育隊の4か月、周りの同期(同じ部屋のやつら)と過ごした日々が、数万倍、本当に地獄だった。

訓練なんて、どうだってよい、やれば終わる。終わるまでやれば、普通の時間帯に夜寝れて朝起きれるんだから。

どこに行ってもつくづく思う。

周囲の人で環境は変わる。

それだけで同じ組織とは思えない

ここからは海外遠征に行き、災害派遣に行き、

「一般曹候補生」の後輩ができ(良識ある普通の青年)、とても充実した日々だった。

ただ、海上だと、将来家族を持った時の不安もあった。家族持ちが普通に半年海外遠征というのはよくある話

正直、任期満了退職して「地上の」「日勤」の仕事に就きたいと思った。

海上自衛隊でも、部署異動を打診していれば「いずれは」叶う可能性はある。

が、競争率は高い

どの船も大体船員が不足していることに加えて

  • やむを得ない事情(家族の事情、疾患など)
  • 艦内生活不適正(閉所恐怖症だったり)
  • そもそも働く能力が著しく低い人
  • 長年から地上部隊を望んでいる人(これ意外と多い)…

事実を知れば知るほど、任期満了がまぶしく見えた

満期で辞めようと思っている旨を、当時の直属上司に伝えた。

ありがたいことに「引き止め」もあった。

「とりあえず自衛隊主催の合同説明会に行って、イマイチだったら、ここに残りなさい」

有難いお言葉を頂けた。こんなこと言ってくれる上司で本当に幸運だった。

資格はフォークリフトと大型自動車、大型2種までとらせてもらえた。

合同説明会で石油基地の社員募集があり、内定を貰えた。

石油基地は「日勤」「地上勤務」そして福利厚生なども安泰、3年前の俺にはなかった選択肢だ。

素直にいってみたい気持ちが勝っていた。

これで自衛隊は辞めることを決めた。

乗艦時から振り返ると、げろ吐きまくって、最初の数か月の艦内生活は本当にご面倒ばかり🚾

ただそこに転がっているだけ💦

それでも温かく見守ってくれていた。温かい指導ももらえた。

俺1人のために「送別会」も設けてくれた。

本当に恵まれていたのだと、今になって更に感謝しかない。

本当にありがとうございました!

道路に大きく書かれたTHANK YOUの文字と手前に描かれた虹のペイント

今職場で悩んでいるみなさまへ

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

この地獄のような経験を通じ、今の私から伝えたいことは一つだけです。

「人はそんな簡単には変わりません。自分はもちろん相手も。」

特に「人を傷つける人たち」は、変わることが極めて難しい人種だと思ってます。

もし今の環境が辛いなら、どうか動いてください。

  • 組織内に別の部署があるなら、事実を伝えて異動願いを出す。
  • コンプライアンスや相談窓口があれば、通報する。

部署が変われば、人も変わる、環境も変わる。

私がそうだったように。

これを読んでくださった方々に、少しでも良いキッカケができれば嬉しかです!

そんために、こんな惨めなお話させてもらってるんですたい(笑)

それでは!しょな!!


【次なる物語へ】

この自衛隊での『経験』を武器に飛び込んだ転職先は…さらなる精神的迷宮でした。

【追伸】 自衛隊、石油基地、超大手製造職……。 数々の地獄を経験し、ボロボロになった俺が、

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この記事を書いた人

38歳でサイドFIREを達成した、元・社畜の主夫ブロガーです。

会社員時代の「監獄生活」から抜け出すために試行錯誤し、現在は投資とブログを軸にした自由なライフスタイルを確立。家事をこなしながら、資産形成のコツやFIRE後のリアルな生活を包み隠さずお届けします。
「自分らしい生き方」を探しているすべての人へ。私の経験が、あなたの新しい一歩のヒントになれば嬉しいです。

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